一撃でリーマンの年収を稼ぐ最強ニートの生態

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最強ニートが稼ぐようになったきっかけ

ニート。自己紹介をさせていただきたいと思います。


まず、年齢は20最終学歴は超底辺高校です!
もちろん無職です。主な収入源はバイナリーと仮想通貨です。


ここからは完全に僕の人生をだらだら語ったものなので興味の無い方は
バックしてもらっても大丈夫です。


僕は昔から社会不適合者でした、
それは小学生のときから芽が出ており、忘れ物は日常茶飯事、いつも先生に怒られるのは決まって僕でした、


別に不良とかじゃないのですが、何かと浮いていたのです。勉強も正直、1時間以上座ってやったことは無いです。そんなこともあり、友達はいましたが、


「あいつ、なんでいつも先生に怒られてんの?」
「なんで宿題できねーの?」


と、攻撃を受けていました(当時の僕は何故か全く学校に行く意味、宿題をやる意味が分からなくて逆にみんななんで出来るんだろう、と純粋に不思議に思っていました。)

 

そんなこんなで中学にあがりましたが、人間というのは根本は変わらないのでしょうね。社会不適合者感は一向に治りませんでした。


中学生になると上下関係を学ばされます。先輩の言う事は絶対!的な教育がされていたかと思います、身に覚えがありませんか?


ただ僕にはやはり全く意味が分からず、部活もやっていなかったので(サッカーのクラブチームに所属していたため)
卒業するまで誰一人として先輩の名前を覚えていません(ガチ)


そんな浮きまくりの僕は、やっぱり誰にも理解されず、もちろん親にも異端の目で見られていました本当に辛かったです、友達はいましたが、気が全く合わないので上辺だけの友達ばかりで、中学時代の友達は今現在、誰一人として連絡を取っていません。


一応彼女は出来て、14歳で童貞卒業しました(1年で別れました糞泣きました)
勿論勉強を全くしていないので底辺高校ぎりぎりセーフの入学でした。

 

ここからは高校編です。ここから僕の人生はかなり色がついてきます。
その底辺高校はサッカーがかなり強く僕は小学生のころからサッカーを続けていて、
かなり上手かったのでその部活に入りました。

サッカーが人気の高校だったので、
全体で70人くらいいたと思います。ここから地獄の始まりです。
その部活は歴史のあるサッカー部らしく先輩との上下関係がとんでもなく厳しいのです。校内ですれ違うときは足を止め、大声で(こんにちは!お疲れさまです!)何か命令されたら絶対服従でした。

 

僕は本当に年功序列が嫌いだったので、みんな必要以上にゴマスリしてましたが、僕はあまり媚びは売らなかったです、そのせいか上級生全体に目を付けられてしまいました。練習が終わった後。

「説教」という時間が設けられており
1年生の部室に上級生2、3人がきて、よし、というまで正座ですもちろん1年生全員で行うのですが、目を付けられていた僕だけが毎日「お前は残れ」
と言われ、毎日2時間の正座をさせられていました。底辺高校のサッカー部といえば不良が多いと相場が決まっています、もちろん僕のとこも5割不良でした。


「僕と仲良くしたら先輩に嫌われるんじゃないか?」
1年生のサッカー部にはマジで友達いませんでした。
先輩に殴られる、パンツ被せられる、傘で殴られる、ここに書ききれませんね。本気でしんどかったです。


それでも親は絶対に辞めさせてくれなかったです、しかも僕は元々サッカーが全く好きではなく、むしろ嫌いな部類でした、親に無理矢理やらされていたのです、
サッカーが大好き母は、サッカーしないならうちの子じゃない、と。
実は本当は歌手になりたかったです。

部活が終わったらほぼ毎日ヒトカラしてましたねw


そんなこともあり、死ぬ気で1年間は耐え抜きました。あの時の精神状態は本当にヤバかったと思います。まだ同級生が励ましてくれたら頑張れたのですが、先輩に嫌われたくない一心で、僕との距離を置くだけでなく軽くいじめていたレベルですからね。


ストレスで血尿が出た時は本当に死ぬんじゃないかと思いました。

というより死にたかったです。


好きなことならまだサッカー頑張ろう!となったかもしれませんが、
全く好きじゃなかったですからね、死にたくなって当然ですよ

 

そして気が付くと2年生になり、糞みたいな先輩は卒業しました、
僕は親の期待に応えようと、どうせやるならプロになるくらいの気持ちで
やったる!と思い練習するのですが、ある試合で右膝の靭帯を損傷してしまい、
半年間運動が出来ない体になりました。


その時僕の心の何かの糸が切れました、
「あー本当に糸が切れるってこういう事か」
と、当時の記憶は鮮明に覚えています。


怪我をしたその日のうちに顧問に「退部する、こんな糞の集まり二度と近寄るか」
と言って辞めてきましたあれだけ僕を苦しめていたものも、終わる時はあっけないんだなと思いましたね。

 

そんな事があり、僕には絶対集団生活は出来ないなと心から思うようになりました。
その時に「絶対に就職なんかしたら俺死ぬな」と悟り
それからはほとんど学校に行かなくなりました。家でビジネスの勉強です


アフィリエイト稼ぎ方」「投資稼げる」「インターネットビジネス」
ネオヒルズ族なり方」など本当に一日中パソコンと睨めっこしていました。


一応学校には卒業できるギリギリで登校していたので新しい友人が出来、
5人ほど出きたのですがサッカー部にいた奴らで、話しているうちに意気投合し、
僕の意見に賛同してくれる奴らが出てきてその時初めて人生で友達が出来たなと思えた瞬間です。

 

結局そいつらは僕の後を追うかのようにみんなサッカー部を辞めました。
インフルエンサーになれました(笑)彼らとは今でも友達です。

 

そして1年の月日が達ち、卒業となりました、先生や母は
「あんた、進学も就職もしないでどうするんだ!!」
当たり前の意見ですね、ただそれが当たり前になっている事に疑問を持たない事の方がよっぽどおかしいんだぞと、今でも強く思います。

 

それから家(実家)に引きこもり、転売でためた40万を種銭として
バイナリーオプションをしていくとになります。初めの半年は
ボロッボロでしたが1日中相場と睨めっこ、入金入金入金、、と
貯金の底が見えてきた頃最後の2万円入金から1ヶ月で70万まで増やす事が出来ました!それからちょこちょこ負けはするものの、


日トータルの負け日がだんだんと減っていき、一度のBET金額は1万、2万と増えていき、最終的には1BET10万で安定させる事が出来ました。
そして1ヶ月でリーマンの年収余裕で稼ぐことに安定し始めた時です。


「俺は人生に勝ったぞ!」そう心から思いました。今までの苦労が報われた瞬間でした。


本当になんだか涙が出てきましたね。

 

長くなってしましましたがこれが今までの僕です。
多少省略してありますが僕の人生の大事な部分凝縮しました、
今ではかわいい彼女もいますしお金も困らない程度にあります。
なので皆さん諦めないで下さい。


僕は学歴は無い、人脈も無い、金もない、の3拍子から3年でここまできました。
人生なにがあるか分かりません、僕は50歳からでも全く遅くないと思っています。
今日から死ぬ気で何かに取り組めば必ず幸せはやってきます、
僕はそのお力添えが出来ればなと思います!


ここまで読んでくれた方。本当にありがとうございます!

ニートはこれからも全速力で駆けていきたいと思っているので
末永くよろしくお願いします。

以上ニートでした🤧